やれんのか!勝てんのか!最低賃金裁判!やってみたら面白い!裁判のすすめ

2011年6月30日、原告50人が国を相手に歴史上初めての最賃裁判に立ち上がりました。その後、原告に名乗りをあげる人が増え続けています。このパンフをお読みいただき、裁判の意義を深め、更なるご理解とご支援をお願いします。また、一緒に裁判に立ち上がる地方・地域の仲間の一助になればと願っています。


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2 時、私は24歳。時給900円のパートでした。最賃裁判が始まると聞いた時は、やっと実現するんだと思い気軽に原告になりました。 裁判はすぐに決着を迎えて時給1、000円以上になると思っていたものですから。 しかし、状況は違いました。こんなにも国が多くのごまかしをしている。 私はただ、時給で働いても少しのゆとりのある生活ができる賃金がもらえればそれでいいと思っていただけなんです。その当たり前の訴えすらも聞き入れてもらえないのは問題としか言いようがありません。本当に展望が持てないんです。日々の生活費を稼ぐだけの労働。これでは人間らしい文化的な生活は送れないと強く思います。 法廷での原告の仲間の陳述を聞くとギリギリの生活を強いられています。特に若い10代、20代の展望が見えない人がこれ以上増えるのはもう終わりにしたいです。 だからこそ、今のこの最賃裁判は勝たなければならないし絶対に勝利判決を勝ち取ります。そのために、できるだけのことをして最賃裁判の原告とサポーターを広げていきたいです。 活の状況は悪化する傾向にあります。これまで食事を削ったり睡眠時間を削る生活をしてきたせいか、彼女の容態が悪化したり僕自原告の訴え2当身体調を崩すことが増えました。そのため度々仕事にいけない日が続いて翌月の給料が減り、その月はさらに我慢しなければなりません。 このままの生活を続けていると疲労が恒常的にたまっていき、働き続けられるか生活し続けられるか心配です。せめて、最低限働き続けられるために必要な賃金の基準値を、未来や将来に見通しがもてるだけの基準値を施行してほしいです。 年前に母子家庭になり、トリプルワークをしながら3人の子どもを育て、朝から晩まで働きました。子どもたちがアルバイトで稼いだ給料からも助けてもらい、親子でどうにか今まで生きてきました。生数森山 健一鈴木 洋子岩森 あかね


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