第83回神奈川県中央メーデー
日時:5月1日(火)
時間:9:00開場 10:00開会
場所:蒔田公園(http://g.co/maps/pgz9v)
交通アクセス 横浜市営地下鉄・吉野町駅 京急・南太田駅 徒歩6分
各地域でもメーデーに参加を!
名称 |
会場 |
式典開会 |
デモ出発 |
川崎メーデー |
富士見公園広場 |
9:30 |
11:30 |
湘南地域メーデー |
藤沢市奥田公園 |
10:00 |
11:00 |
相模原メーデー |
相模原中央公園(富士見2丁目) |
10:00 |
11:00 |
平塚地域メーデー |
平塚八幡山公園 |
10:00 |
11:00 |
小田原メーデー |
小田原競輪場前駐車場 |
10:00 |
11:00 |
横須賀・三浦メーデー |
ヴェルニー公園いこいの広場 |
13:00 |
14:00 |
鎌倉・逗子・葉山統一メーデー |
海浜公園 |
10:00 |
11:00 |
厚木メーデー |
厚木公園(鳩ぽっぽ公園) |
10:00 |
11:00 |
港湾メーデー |
新港赤レンガパーク・プラットホーム前広場 |
9:30 |
10:46 |
メーデーのとはなに?その歴史は
「メーデー」とは本来五月祭を意味し、この日に夏の訪れを祝う祭がヨーロッパの各地で催されてきた[1]。この祭では労使双方が休戦し、共に祝うのが慣習であったが、これが近代に入り現在の「メーデー」へと転化し、こんにちの「労働者の日」メーデーが誕生した。(出典:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%BC)
メーデーとは毎年5月1日、世界の労働者が大衆的示威運動で団結と連帯とを示す国際労働日(出典:日本大百科全書)
メーデーの起源
1886年5月1日、アメリカ・シカゴを中心に35万人の労働者が決行した「8時間労働制」を要求するゼネラル・ストライキが発端。その後、1889年7月14日、パリで開催された第二インターナショナル創立大会で、90年から5月1日を8時間労働制実現の国際的示威行動の日とすることが満場一致で決められました。
1890年からヨーロッパ各国、アメリカ、オーストラリア、ラテンアメリカ諸国で第1回国際メーデーが挙行。翌年からは8時間労働制実現のほかに戦争反対・平和擁護などの要求も掲げられるようになり、時々の労働運動の諸課題なども加えられて、今日まで続いています。
日本のメーデーの歴史
1920年5月2日(日)上野公園で日本の第1回メーデーが開始(当時は15の労働団体)1936年から45年の10年間は政府が治安維持を理由にメーデーが禁止され開催不能に。労働組合も戦争協力体制に組み込まれ「産業報国会」へと変質させられていきました。
終戦後の1946年5月1日、宮城前の人民広場(皇居前広場)に50万人が参加し戦争終結んポツダム宣言にもとづく民主的改革に励まされて、多くの職場で労働組合結成に立ち上がった仲間が第17回メーデーを祝いました。また、5月19日は皇居前で25万人が参加する食料メーデー開催されました。
1952年の第23回メーデーは「血のメーデー」と言われています。皇居前広場を会場に取り戻せと叫ぶデモ隊に、米軍の挑発と警察による弾圧で死者2名、重軽傷者千数百名、拘束者12,000名に及ぶ事件となりました。後に裁判で被告側が勝訴しています。
神奈川では
1990年第61回メーデー(国際メーデー100周年)で連合と全労連に労働組合が分裂。神奈川労連は、それまでの総評・同盟・中立労連などのナショナルセンターの違いを超えて統一開催してきたメーデーの統一開催を連合神奈川申し入れましたが、連合神奈川はこれを拒否し今日にいたっています。