8月2日から6日まで開催された「原水爆禁止世界大会・広島大会」に参加した、山下事務局次長のレポートです。
92人が参加した国際会議
8月2日から4日正午まで行われた国際会議では、28か国の政府、平和団体などの代表92人が、核兵器の非人道性、世界の核被害、禁止条約の早期交渉開始等を議論しました。
開会総会で、元国連軍縮担当上級代表のセルジオ・ドゥアルテさんが、国連の核軍縮に関する作業部会に核兵器保有五大国が参加せず、被爆国の日本が禁止条約の早期実現に消極的な現状を捉え、「安全保障を核兵器に頼る主張に立ち向かおう」とスピーチ。
「生きている間に核兵器のない世界を実現したいと切望し、被爆者が訴える核廃絶署名を提唱した」と訴える被団協の木戸さんの原体験と「被爆者は被爆者であることから解放されることはない」との言葉は心に響きました。
セッションでは「核抑止論」への危惧が出されるなか、神奈川原水協事務局長の笠木さんの「軍事同盟が本質にあることを押さえることが、核抑止論を打破する鍵」の発言に感銘。
この発言は、三日間の討議をふまえ閉会総会で採択され、国連の核軍縮に関する作業部会に送られた国際会議宣言にも反映されました。
宣言文は、核兵器廃止・禁止条約の交渉開始を国連総会に明確に勧告するよう求め、「国際署名、広島・長崎の被爆の実相の普及」「被爆者への国家補償、核実験、原発事故被災者への支援」などの行動が提起されました。
神奈川から253人
4日午後は、県立総合体育館にて神奈川からの代表団253人を含む4500人の参加者で開会総会。
主催者報告では「圧倒的な世論で禁止条約を実現しよう」と呼びかけがされ、開会総会のフィナーレでは国民平和大行進と国際青年リレー参加者による歌いながらの登壇で、核廃絶に向けた決意と熱気がましたように感じました。
5日は、市内各所で「核と基地のない日本、沖縄との連帯を」「岩国基地調査行動」などの分科会、動く分科会。
「核兵器と原発」の分科会では、「伊方原発再稼働差し止め裁判」の原告団長の堀江壮団長による被爆体験や「知っていて行動を起こさないことは許されない。次世代への責務」と裁判に立ち上がった経過、支援団体代表による中央構造線断層帯上に建設されている原発が放出する放射性物質の健康被害などが報告され、あらためて、わたしたちの生存権、人格権を侵害する原発推進の怒りを感じました。
核兵器廃絶と脱原発が結びついて運動が広がるなか、自治体に「脱原発・非核自治体宣言」を求める京都の実践は、ノーニュークス横浜などの神奈川のとりくみを広げ深めていく上での刺激となりました。
自らへの問い、深まる
6日の閉会総会では、原爆による白血病で14歳で亡くなった佐々木貞子さんの甥の佐々木祐滋と、被爆3世のメディスさんの「イノリ」の熱唱は心打たれました。
5月のオバマ大統領の広島訪問について「メディアや署名をつうじた働きかけが実を結んだ」と運動の前進面をよびかけ続けたアメリカ「ピースアクション」のポールマーチンさんのメッセージを実感として広げること、みること、しること、伝えることの大切さと、自らへの問い深まる広島大会でした。