08年秋からの世界的不況の際、多くの派遣労働者や期間工労働者が解雇され、東京のど真ん中に「派遣村」ができて大きな社会問題になりました。
ゴーンの号令でクビ
日産自動車と日産車体においても、解雇の必要性が無かったにもかかわらず、カルロス・ゴーンCEOの号令で多くの労働者が解雇されました。5人の仲間が雇用の確保などを求めて闘っているのが『日産争議』です。
地位の確認を求めた裁判所での判断は、地裁・高裁・最高裁といずれも極めて不当なものでした。原告らはあきらめずに争議を解決させるため、会社に団体交渉に応じるよう求めましたが、拒否または不誠実な対応であったため、不当労働行為として神奈川県労働委員会に救済を求めて申立を行いました。
雇用主と同視できる
2月27日に命令が出され、日産自動車の不当労働行為を認める画期的な内容でした。
日産自動車はこれまで、原告のうち2人の派遣労働者について「雇用関係にないので団交に応じない」としてきました。
命令は、日産自動車が事前面接で派遣労働者を選定していた違法行為を認定。雇止めについても専ら日産自動車に派遣するために派遣会社に採用されたのであるから、派遣契約が終了した場合には、派遣会社が期間満了とともに雇止めすることは不可避的な帰結であると指摘しました。
そのうえで、日産が事実上、雇用主と部分的とはいえ同視できる程度に現実的かつ具体的に支配・決定していたと判断し、「紛争を解決できる当事者」だとして誠実な交渉を促しています。
また、日産自動車において、派遣と期間工の「地位のキャッチボール」をされながら働いてきた原告についての団交の対応は、「裁判の内容を熟知しておらず日産自動車側の主張を説明できない者を団体交渉の担当者として出席させた」と認め、不誠実な団交であると厳しく断罪しました。
壁を突き破った
派遣労働者の闘いは、全国で数多くとりくまれていますが、形式的に「雇用主でない」ことが壁となり、派遣先企業の責任を免罪する状況が続いていました。
今回の命令は、この壁を破り団体交渉に応じることを命じたもので、日産争議だけでなく派遣労働者の雇用や権利を守ることにつながる、貴重な成果と言えます。
残念ながら、日産車体については労働組合の主張は認められませんでした。そして、日産自動車は命令を無視するかのように、命令後に「団体交渉を行うよう」に求めた労働組合の要請に対し、これを拒否する不誠実な対応を繰り返しています。
しかし、当事者や支援組織では、あきらめずに宣伝行動などとりくみを強化しながら、命令を最大限に活かして早期解決を実現できるようめざしています。