国とメーカーの責任を断罪
「国の責任断罪」、「建材メーカーの責任を断罪」の垂れ幕が掲げられ、「勝ったぞ!」、「やった~!」と原告・弁護団・支援者の喜びの歓声と拍手が鳴り響きました。建設アスベスト訴訟・神奈川ルートについて、10月24日に横浜地裁、27日に東京高裁で判決が出され、いずれも国と建材メーカーを断罪する画期的判決となりました。
建設アスベスト訴訟とは、建設現場で長年働いていた労働者が、アスベストの危険を知らされずに、含有した建材を使用し吸い込むなどした結果、中皮腫や肺がんなど重篤な病気を発症し、健康を害し命を奪われたことについて、国と建材メーカーを相手に謝罪と賠償を求めて闘っているものです。
今回、神奈川の労働者・遺族が原告となった第1陣訴訟が東京高裁で、第2陣訴訟が横浜地裁で判決が出されたものです。
全国で同様の訴訟
この間、同様の建設アスベスト被害の救済を求める訴訟が、全国6か所の地裁で起こされています。最初の判決となった12年5月の横浜地裁判決は国の責任も建材メーカーの責任も認めない極めて不当な判決でした。
原告は大きなショックを受けましたが、あきらめずに闘いを継続するなかで、その後の5つの地裁では国の責任を認めさせ、京都ではメーカー責任も断じました。
今回の横浜地裁の判決は、6度目となる国の責任を認めるとともに、京都に続いてメーカーを断罪した画期的な内容となっています。
猛暑・厳冬のなかでも
高裁の第1陣訴訟は、唯一国の責任も認めなかった裁判の控訴審として争われてきました。
原審の判断を覆すという大変困難な状況のなか、第1陣・第2陣の原告が団結を強め、弁護団や支える建設労連・「支援する会」とともに、全国や神奈川の仲間に支援を訴え、猛暑・厳冬のなか街頭で世論を広げ、企業に責任を迫るなど、あらゆる可能な限りの行動を展開するなかで、展望をまさに切り拓いてきました。そして、不当な原審を180度覆す画期的な判決を勝ちとったものです。
極めて重要なのは、高裁段階での全国初めての判断で、国の責任を認めさせたことはもちろん、メーカーの責任まで踏み込んだ判断を行ったことです。
この判決で国の責任は文字通りゆるぎないものとなりました。あわせて、メーカーも責任を逃れられないことが明確になりました。
補償基金制度を
第1陣原告団長の平田さんは報告集会で、謝意を述べながら「まだ闘いは続きます。被害者全員が救済される制度の確立が必要です。さらなる支援を」と訴えました。
原告らは、裁判によらずに建設アスベスト被害者を救済する「被害者補償基金制度」の創設を求めています。
アスベストによる健康被害は、いま現在では不治の病であり、裁判進行中にも多くの原告が亡くなっています。国と建材メーカーは、いたずらに解決を引き延ばすべきではありません。謝罪し、償って、被害根絶のための抜本的なとりくみを直ちに行うべきです。
東京高裁判決のポイント
- 横浜地裁の判決を変更し、国・建材メーカーの賠償責任を認め、原告の労働者・遺族89人のうち62人に対し、計約3億7千万円の支払いを命じた。
- 国は、遅くとも1981年までに防じんマスク着用の義務付けや警告表示の義務付けなど規制権限を行使すべきであり、それを怠ったことは違法で損害賠償を命じる。
- 建材メーカーは、1975年以降、アスベストの危険性を警告する義務があったとし、市場シェアや被害者が従事した現場数などから4社(エーアンドエーマテリアル、ニチアス、エム・エム・ケイ、神島化学工業)に賠償を命じた。
- 一人親方・事業主について、保護の対象は労働者のみとしたが、「労働者」にあたるかどうか実質的な判断を行い、7人について労働者性を認め救済した。
横浜地裁判決のポイント
- 国・建材メーカーの賠償責任を認め、原告の労働者・遺族61人のうち39人に対し、計約3億円の支払いを命じた。
- 国は、遅くとも1976年までに防じんマスク着用の義務付けや警告表示の義務付けなど規制権限を行使すべきであり、それを怠ったことは違法で損害賠償を命じる。
- 建材メーカーは、遅くとも1976年までに、アスベストの危険性を警告する義務があったとし、左官工・タイル工・保温工の計10人に対し、2社(ニチアス、ノザワ)の製品に含まれるアスベストが発症の原因になった可能性が高いと特定し、賠償を命じた。
- 一人親方・事業主について、保護の対象は労働者のみとし、「労働者」にあたるかどうか実質的な判断を行ったが、労働者性を認められる者はいなかった。
横浜地裁判決後の勝利報告集会(上の写真)