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2016年2月1日

議長の沖縄支援行動報告(5)

沖縄の歴史

 1945年の地上戦で20万人死亡、沖縄の人口の1/4にあたる住民12万人余りが殺される。本島の南部は徹底抗戦と住民を巻きこんでの悲惨な地上戦となる。海からの艦砲射撃、地上と空からの砲弾の雨、そして歩兵からの火焔放射器。6月23日に日本軍司令官が自決。これも本土決戦になった際の天皇の避難先の「長野・松代大本営がほぼ完成した」との通知を受けての判断であり、本土防衛の捨石のためであった。

自決した司令官の「最後の一兵まで戦え」という指示に従い、戦闘は8月まで続いた。南部の悲劇的戦闘で死傷者が激増し、負傷者看護、飯炊き水汲み、死体埋葬等に学徒が動員され、ひめゆりの教師学徒240人中227人が亡くなるという悲劇が起きた。

 敗戦の1945年に強制収容所への住民収容と土地収用、米軍統治下における合意なき基地の建設。米軍占領時代は「ゆみこちゃん事件」で5歳の女の子が暴行強姦されドラム缶に捨てられる。1972年5月12日、27年間にわたる主権なき時代に終わりを告げ、日本へ本土復帰。

だが、基地は残り米軍地位協定で「米兵の公務中の事故、事件は日本の法律で裁かれない」ということで基地に逃げて米国に逃げてお咎めなし。現在、日本の国土面積の0.6%の沖縄に米軍74%が集中。そのほとんどが沖縄本島に集中し本島面積の18.4%を占める。

おわりに

 最後の夜、私は那覇近郊を歩いていた。ツアー参加の仲間との飲み会も終わり、時刻は午前2時ごろ。昔は歓楽街としてにぎわったというここも、今は少しうらぶれた感じの古めかしい店が並ぶ。ぶらぶら歩いていると、知らないうちにアーケードの商店街に迷い込んでいた。裏道にいくつかの飲み屋が開いているが、ほとんどはシャッターを閉めている。そこに2人のおばあちゃんが座り込んでなにやら手仕事をしていた。

 よく見ると、もやしを前にしてその「ひげ」を黙々と取っているではないか。聞くと、午前0時ごろから作業を始め、朝方5~6時までずっともやしのひげ取りをするのだという。夜明けに業者が回収に現れ、近くの飲食店にもっていくのだという。バケツに沢山たまったひげ取り済のもやしを見せてくれた。2人の前に座り込んでいる私に、一人のおばあちゃんは、下に敷物をしけだの飴を食べろだのと、手を動かしながら気をつかってくれる。

 おそらく、70前後のおばあちゃんだろう。時給にしたらいったいいくらになるのだろうか。沖縄の戦後を生き抜いてきて、まさに今も生きるために黙々と手を動かし続けている。2人の前で、すぐに何も問うことも話すこともできないまま、ただただ彼女らの手を見つめ続けるだけの自分がいた。

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魂魄の塔とは

沖縄本島最南端、沖縄戦最後の激戦の地、真和志村に立つ。
住民、軍人、米軍韓国朝鮮人、沖縄戦で死んだ約3万5千人の人々が軍民、人種を問わず葬られた、沖縄最大の塔である。翁長氏は県知事選挙戦の出発地としてここを選び、慰霊してから全県を回った。

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