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2015年10月1日

議長の沖縄支援行動報告(2)

沖縄の美しい海、本島北部に行ったときに特に感じたトロピカルな植生、そして基地の中にあるかのような街並みと、重くがっしりとした建物。私は、昔生活した中米のニカラグアを思い出していた。北の巨人アメリカに従属するソモサ独裁政権と闘い、1979年サンディニスタ革命政権を樹立。この革命政権樹立の闘いも、長い支配と従属、傀儡独裁政権時代にたまりにたまった怒りが、1979年マナグア大地震で爆発したのがきっかけだった。まさにオールニカラグア=左翼、宗教者、中小企業資本家の統一した団結による闘いのすえに勝ちとられたものだった。

気候風土も同じ。あのニカラグアの闘いとこの沖縄の闘いがダブって見えるのは、気のせいではないだろう。ニカラグアはその後、アメリカによる軍事介入で内戦に突入。2度にわたる選挙で革命政権を維持したものの、3度目に敗れ、1990年に親米チャモロ政権になった。だがその後15年以上の時間を経て、2006年11月から再びサンディニスタ民族解放戦線が政権を担っている。「500年間、収奪され続けてきた大地」と中南米は言われていた。沖縄の今は、どうだろうか。日米両政府による支配と収奪、その歴史に終止符を打つべく、沖縄人民は立ち上がった。同じ日本に住む人間として、この歴史、この闘いの事実にどう向き合うか。問われていると思う。

沖縄の怒りに火をつけたもの

1995年、米兵3人が小6少女を暴行。それまで何百人もの人たちが泣き寝入りしてきたが、この少女が告発に立ち上がる。多数の沖縄の人たちが立ち上がり、86000人の県民大会となり、「米兵は帰れ」の声が充満する事態となる。

この県民の怒りにたじろいだ米国と日本国政府が、翌年の96年12月6日にSaco合意をし、米軍基地の整理縮小を約束。その中に世界一危険な普天間基地移設が入ることになった。しかし、そのほとんどは県内「移設」条件つき、それも日本政府による思いやり予算での移設費用全面負担条件付きだった。普天間もまた、辺野古への移設条件が付いていた。

名護市では辺野古移設発表後、市民投票が行われ反対票が圧勝。1997年から20年間、辺野古基地強化建設反対の座り込み、24時間監視活動は続いている。2010年1月24日に「海にも陸にも基地を作らせない」稲嶺名護市長が誕生し変化が生まれる。

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2013年1月28日沖縄全市町村長41人が「建白書」でオスプレイ拒否、辺野古基地移設反対を表明。2015年「島ぐるみ会議」発足。全島から交代で辺野古基地建設反対座り込みを続けている。(写真は、辺野古基地反対の座り込み現場)。

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